説教『イエスさまと二人の弟子』牧師 若月健悟

最終更新: 5月3日

2020年5月3日(日)復活節第4主日礼拝

【聖書】ヨハネによる福音書21章15~25節

【はじめに】

 新型コロナウィルス感染拡大防止に伴う緊急事態宣言の今後について、明日公表されます。日本の経済を優先させるのか、それとも国民の生命を優先させるのか、政治的判断を見守りたいと思います。

 この議論を考えるとき、思い起こされるのが、「人の生命は地球よりも重い」という言葉です。この言葉は、中村正直が翻訳し、今から149年前の1871年に発刊しました『西国立志編』(原著『自助論⦅セルフ・ヘルプ⦆サミュエル・スマイルズ』)にあります。この本は教科書に載っていますので、一度は目に触れた書名です。この本の中で、最も良く知られている言葉は「天は自ら助くる者を助く」という言葉です。わたしも記憶していました。

中村正直は、1874年(明治7年)、42歳のクリスマスの日に、 横浜ユニオン・チャーチジョージ・コクラン宣教師より洗礼を受けました。森有礼や新島襄とともに、日本のクリスチャン教育家として知られています。教会の中で、「中村正直」とか「中村敬宇」という名入りの額をご覧になった方もおられることと思います。その気概をうかがわせる筆使いですが、惜しくも58歳で天に召されました。

「人の生命は地球よりも重い」今ほど、この言葉をよくよく考えなければならないことと思います。この言葉の背景には、聖書の御言葉があるからです。イエスさまの十字架と復活によって、無償で買い取られたわたしたちの生命です。どのような議論の場合でも、生命を中心に据え、土台とすることが、クリスチャンはもとより、全ての人が大切にすべき源ではないかと思います。

 では、聖書の御言葉は、どのようなことを告げているのでしょうか。

【イエスさまとペトロ】

ペトロは、一番弟子として、いつもイエスさまのそば近くにいました。そのペトロが、イエスさまの逮捕により、イエスさまを「三度知らない」と拒み、逃亡しました。イエスさまは復活されたあと、3度ペトロの前にその御姿を現しました。3度目の時です。ペトロはイエスさまが用意された食事を終え、一晩の漁で冷え切った体が温まり、お腹も満たされました。気持ちも落ち着いたころ、イエスさまは3度、同じ御言葉をもってペトロに問われるのです。

 「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」

 イエスさまが「わたしを愛しているか」と繰り返されたことを通して、これから始まる羊の群れである教会を養い、正しい信仰の道に導く使命をペトロに委ねられたのです。ペトロの弱さと実直さを良くご存じのイエスさまです。そのペトロに、教会を牧し、信仰を養う使命を与えられたのです。時代は、内からも外からも、クリスチャンには厳しい攻勢をかけていました。ペトロは、それを肌身に感じていました。ですから、「絶対に裏切りません」とか「絶対に逃げ出しません」とは答え切れなかったのです。

17節の御言葉が、3度目に問われた時のペトロの心情と信仰を良く伝えています。

 「(ペトロは)悲しくなった。そして言った。『主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。』」

 ペトロにとりまして、今答えることのできる偽りのない率直な心情であり、信仰の告白でした。

 そのあと、イエスさまは、ペトロに予告します。18~19節のイエスさまの御言葉です。イエスさま御自身が受けられた十字架の死をペトロも受けることになるのです。

 「年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行

  かれる。」

 確かに、イエスさまが告げられた御言葉の通り、ペトロはローマの皇帝ネロのもとで十字架の死を遂げました。62年のことと伝えられています。ローマから逃げ出そうとすれば、それはできたのです。ですが、イエスさまの御言葉に、今度は過ちなく聞き従い通したのです。自分の十字架を背負ってイエスさまの御後に従う、ペトロの最後の姿に、偽りのない信仰を見るのです。ペトロの信仰は、イエスさまの御約束の通り、十字架の向こうに見える復活の命に生きることです。わたしたちはその信仰の真実をペトロに見るのです。

【イエスさまと愛する弟子】

 お弟子さんの中には、名前が告げられていない人もいます。「愛する弟子」とのみ呼ばれています。この呼び名はヨハネによる福音書にだけ登場しています。

 「愛する弟子」が誰であるのか、2世紀には定着していたのが、ゼベダイの子ヨハネです。兄ヤコブと一緒に網を捨て、イエスさまに従いました。ペトロといつも行動を共にしたお弟子さんです。

 「愛する弟子」は、イエスさまの十字架と復活の証人として活躍しています。最後の晩餐で、イエスさまの胸元に寄りかかったり、イエスさまが逮捕されたあと、大祭司カイアファの屋敷にペトロを誘いました。イエスさまが十字架の上から、お母さんのマリアさんを委ねたお弟子さんであり、さらに、マグダラのマリアからイエスさま復活の第一報を聞いて、ペトロと一緒にお墓にはせ参じました。イエスさま復活後、ガリラヤの漁師に戻りましたが、湖畔に立つ方を最初に「主だ」と言い当てたのでした。このような「愛する弟子」の姿を見て参りますと、ペトロを超えてイエスさまに最も近いところにいたお弟子さんであることが分かります。

 「愛する弟子」がゼベダイの子ヨハネだとしますと、言い伝えでは、イエスさまのお母さん、マリアさんが天に召されたあと、ローマへ行き、迫害に遭ってパトモス島に流刑となります。流刑が解かれたあと、エフェソに行き、エフェソ教会で福音を宣べ伝えました。晩年

に語る言葉は、ただ一言でした。「子らよ、お互いに愛し合いなさい。これは主が命じられた命令である。」(5世紀、ラテン語聖書のウルガータ訳者ヒエロニムスによる伝承)

 さて、「愛する弟子」がゼベダイの子ヨハネであるかどうかは、もはや立証できませんが、大切なことは、1人ひとりに与えられている賜物を全て用いて、主に仕え、教会に仕え、隣人に仕えることです。  

 イエスさまがペトロの先行きを告げられたとき、ペトロはそれがイエスさまと同じ十字架の道であることを知りました。それで、気になっていた「愛する弟子」の先のことを尋ねるのです。ですが、イエスさまは答えられます。

 「あなたに何の関係があるか。」(22節)

 突き放したようなイエスさまの御言葉です。この御言葉には、誰が優位に立っているかという思い、つまり、誰が1番か2番かと問うことに意味がないことです。むしろ、ペトロにはペトロのなすべき使命があり、「愛する弟子」には「愛する弟子」に託された使命があるのです。1人ひとりに委ねられた使命を自分の賜物を用いて最後まで果たすことにこそ、イエスさまの弟子としての使命があるのです。

 わたしたちは、他の人のことを気にしないでいようとすればするほど、かえって気になるものです。知りたくって仕方がないのです。そのような欲望を抑えるのは困難です。ですが、イエスさまから「あなたに何の関係があるか」と、ピシッと告げられますと、〝その通りです。アーメン〟と思わず答えて、心は定まるのです。

【証しの真実】

 ヨハネによる福音書は、イエスさまの十字架と復活を証しする書であり、それを書いたのは「愛する弟子」であったと告げます(24節)。

 「愛する弟子」に込められた意味は、罪人の救いの現実は、イエスさまの十字架と復活にあることです。この証しこそ真実であり、世々限りなく宣べ伝えられていく愛の御言葉であることです。

 そのために、ペトロは生き、「愛する弟子」も生きて証ししました。その証しの御言葉は、今も生き生きと宣べ伝えられているのです。それは、永遠に変わることがない、御言葉の真実であるからです。教会は、この御言葉を委ねられ、宣べ伝えるのです。

 「わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を納めきれないで

  あろう。」(25節)

 父なる神さまの栄光のためにイエスさまがなさったこと、告げられた御言葉を証しし、宣べ伝えて、わたしたち教会の新しい1ページを書き記してまいりましょう。

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