説教『十字架の道』牧師 若月健悟

2021年3月28日(日)棕梠の主日礼拝説教要旨

《聖書》哀歌3章31~33節

【はじめに】

 哀歌は、伝統的に「エレミヤの哀歌」と呼ばれ、エレミヤ書のすぐ後に置かれました。預言者エレミヤは、神の都エルサレムが崩壊し、多くの民が捕囚となることを預言し、悔い改めを迫りました。ですが、神殿が崩壊し、廃墟となった神の都を目の前にして、深い嘆きの中で主なる神さまの御心を思い、失った多くの命に思いを馳せるのです。

 この哀歌を読んでいますと、いつも思い出すのは「荒城の月」という歌です。「春高楼の花の宴」と始まるあの歌です。土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲の歌です。「荒城の月」のモデルになったお城は全国に5つあると言われていまして、会津若松の鶴ヶ城もその1つです。

敗戦後の翌年1946年11月3日、土井夫妻が会津に招待されまして、「荒城の月作詞48周年記念音楽祭」が催されました。その時、土井晩翠が、挨拶の中で「荒城の月の基は皆さん方の鶴ヶ城です」と告白したそうです。二高の学生の時、修学旅行で1度会津を訪れたことがあったそうです。28歳の時に作詞を依頼され、鮮明に残っていた石垣だけの鶴ヶ城の印象を歌詞にした、とうことです。この日以来、会津の人は「荒城の月」のモデルは、〝ここしかない〟と言い張っています。

 今は、廃墟の中から再建された、美しいお城を見ることができますが、市民が募金を集め、ずいぶん長い年月を掛けて完成しました。わたしが15歳の時です。それまでは、崩れた石垣と深い外堀が残るだけで、「むかしの光いまいずこ」との歌詞の通りでした。

 高校3年生の時に教会に通うようになりましたので、それまでは、聖書の中に「哀歌」という美しくも物悲しい1冊があることは全く知りませんでした。それに、元気な高校生でしたので、「哀歌」に心惹かれることはありませんでした。遅い目覚めですが、40歳を過ぎてから「哀歌」の美しさに心惹かれるようになりました。

【哀歌3章】 

 哀歌を学び、特に、心惹かれたのは3章19~33節の御言葉でした。人が突然、大切なものを失った時、どのように考え行動するのでしょうか。大地震、大津波、大洪水、台風、原発事故と、避けて通れない現実が、わたしたちを何重にも取り巻いていることを認めざるを得ないのです。

 そのような中で、哀歌3章は、絶望へと追い込まれる現実の中で、なお光を投じるのです。希望の光です。それは、どのような信仰から生み出されるものなのだろうかと、思い巡らすうちに、〝なるほど〟と思えることに気づかされたのです。

 それは、哀歌の中心が3章にあり、その3章の組み立て方にヒントがあることを知りました。3章は「いろはうた」と言われています。アルファベットの順番に詩が作られています。それは、詩編109編に見られる構造と同じです。3章の内容は、3つに組み立てられています。

  1~18節「苦しみの経験」

 19~39節「希望の回復」

 40~66節「悔い改めの祈り」

 つまり、こういうことです。

 苦しみに耐えかねてもがいていると、どんなにもがいても何も変わらないことに気づかされる。そうすると、この苦しみの現実を受け入れようと始める。すると、何かが起こる。こんなに空しく切ないのに、食べてお腹を満たそうとする。これは一体何なのか。人は、お腹がすくと食べる。食べて一時お腹を満たし、ホッとする。これは生きていることの証しではないか。

 〝生きてみようか〟という思いが、心の中に芽生え始める。これは、今を生きるだけではなく、明日のことを考えていることではないか。一体誰がこのような思いを引き出すのか。これまでは、ぼんやりとした信仰でしかなかったが、生きて働かれる神さまが固く閉じた心の扉を開いて、〝こっちを見なさい〟と語り掛け、働き掛けている証しではないか。そうだ、もう1度、神さまへ立ち帰ってみよう。 

 だが、どうして、神さまを信じたいと思うのだろうか。辛い毎日が、繰り返すだけではないか。本当に、神さまを信じてもまた、同じように苦しみを増すだけではないか。

 そうではない。このような思いを与えてくださった神さまの真実は、何も変わっていない。ぼんやりとし、不信仰な者を見捨てられない神さまだから、このことに気づかせてくださったのだ。何も寄り頼むことができない現実だからこそ、神さまを信じて、その愛にお応えしてみよう。今はただ悔い改めて祈ろう。

 まさに、哀歌3章は、信仰と希望と愛の歌なのです。

【捨てず慈しみ憐れむ主】

 神さまの愛に気づかされるのは、そんなに難しいことではありません。これまで歩んできた道のりを振り返りますと、本当に不思議の連続です。その都度の体験は、1つの点に過ぎません。ですが、信仰をもって、その1点1点を振り返ってみますと、今こうしてあるのは、偶然ではなく、全てが鎖のように結び着いていたことに気づかされるのです。その気づきが、生きる希望へと歩み出させるのです。

 神さまは、そのように愛し導いていてくださるのです。その真実に気付かせてくださったからこそ、悔い改め、信じて生きてみようと思うのです。

 哀歌は、このように告白します。

 「主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。

  主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。

  人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない。」

 わたしたちは、自分の苦しみには敏感です。ですが、どうも、他の人の苦しみには疎く、なかなか共感できないものです。だからこそ、主なる神さまは、一時、見捨てられたように感じさせ、懲らしめ、苦しめ悩まされるのです。そうすることによって、自分の心の内に巣くっている根深い罪の現実に気づかせるのです。自分の力では、いかんともしがたい罪の根っこを根源から断ち切るためです。それには、神さまへと方向転換することが必要です。捨て置かれることなく、慈しみ憐れんでくださることが、主なる神さまの御心であり、わたしたちへの尽きることのない愛であることに気づかせるためです。

 わたしたちは、それをもっと鮮やかに確かに知ったのは、神の御子イエス・キリストの十字架に出会ったからです。

【十字架の道】

 ですが、どうでしょうか。自らを振り返ってみて、思い至ることは、何とも心頑なで、悔い改めても悔い改めでも、すぐに罪を犯してしか生きられない現実に置かれていることです。このようなわたしたちを、神さまは、御自身から最後の一手をもってわたしたちを罪の現実から救い出してくださったのです。それは、御子イエス・キリストの十字架です。

 最初の人アダムが罪を犯して、神さまから離れた後、神さまは、ノアの大洪水を通して、罪を清算されました。それでも、罪の現実は根深く、神さまは次から次へと救いの手立てを与えられました。

 アブラハムを召し、ただ独りの神さまを主と信じる信仰を与えられました。イサク、ヤコブがその信仰を継承しました。4百年の奴隷の期間を経て、モーセに十戒が与えられました。礼拝を基とした信仰生活は、神を愛し、隣人を愛する証しとなりました。ダビデによってイスラエル王国が確立され、生活の基が整えられました。その子ソロモンによって神殿が建築され、信仰の見える形が作られました。ですが、人の罪は深く、アッシリア、バビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマと続く、歴代の大帝国の力をもって懲らしめ、主なる神さまへと悔い改めて方向転換を迫られたのです。

 それでも、人の心は容易に変わることはありませんでした。ついに神さまは、御自身の独り子イエス・キリストを世に送り、人の心ではなく、神さま御自身の御心によって罪人の救いを実現されたのです。それは、神さまと契約を交わした人がその契約を破っても、神さま御自身から契約を破ることのない真実な御方であり、最後にして決定的な愛の証しとするためです。

 御子イエス・キリストは、父なる神さまの御心を実現するために、十字架の道を歩まれたのです。御子の命だけが、罪人の罪を贖い、命の救いを実現することができるからです。父と子の救いの御計画が、十字架の道を実現したのです。それは今、聖霊の御業により、わたしたちの心に語り掛け、促して、御子の十字架こそ愛と救いの真実の証しであることに気づかせてくれるのです。御子イエス・キリストの十字架を覚えて悔い改め、信じて歩み始めましょう。

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