説教『弁護者』牧師 若月 健悟

2020年5月10日(日)母の日礼拝(復活節第5主日)説教要旨

《聖書》ヨハネによる福音書15章18~27節

【はじめに】

 イエスさまは、十字架に引き渡される日が迫ってきたとき、お弟子さんたちに1つのたとえ話をされました。ぶどうの木のたとえ話です。15章冒頭にそのたとえ話があります。

 イエスさまは、御自身をぶどうの木の幹に、お弟子さんたちをその枝にたとえられました。このたとえによって、枝が幹につながって良い実を結ぶように、お弟子さんたちがイエスさまとつながっていることによって実りある信仰を豊かに結ぶのです。

 イエスさまが、ぶどうの木のたとえ話をされた背景には、イエスさまが間もなく迎える十字架の死が、お弟子さんたちの迫害として身に及ぶからです。それは避けることができない厳しい現実として迫っているのです。それだからこそ、イエスさまは、その時が近づいてきたとき、お弟子さんたちが「迫害」に耐え、その使命を全うするように、あらかじめ教え諭されるのです。

【憎しみが生み出す迫害】

 イエスさまは、迫っている迫害の危機を通して、2つの陣営が明確になる、と告げるのです。

 1つは、イエスさまを信じる陣営です。イエスさまを、父である神さまの御許から送り出された神の御子キリストと信じる群れ、教会のことです。お弟子さんたちはこの陣営に属するのです。

 もう1つは、イエスさまを拒むこの世の陣営です。圧倒的な勢力です。

 お弟子さんたちは、この世の陣営から徹底して迫害を受けることになります。なぜなら、この世の陣営は、イエスさまを父なる神さまから送り出された神の御子キリストと信じることになれば、これまで依り頼んで来たものを捨て、受け継いで来た生活の基盤を全く失うことになると理解したからです。そのように理解する限り、この世は、イエスさまを憎んで、十字架の死へと追いやり、排除するほかはないのです。ですから、お弟子さんたちもイエスさまと一緒に、この世から憎まれ、迫害を受けることになるのです。

 迫害の源である「憎しみ」は、相手を力で従わせようとする怒りの感情です。このような怒りの感情は、自分の正しさが相手の言動によって打ち砕かれてしまう時に起こります。わたしたちの感情には、どうしても、相手には負けたくないという強い欲求があるものですから、自分の立場が危なくなりますと、どうしても、怒りをもって相手を打ち負かしたくなるのです。そうしないと、心が安らわないからです。ようは、負けたくないのです。その強い欲求が「憎しみ」となって現れるのです。

 この世の力は、イエスさまを神の御子キリストとは、どうてしても認められないのです。認めてしまいますと、イエスさまに聞き従わなければならなくなるからです。何の権威もなく、ましてや、この世の権力を持たない人に服従するのはご免こうむりたいのです。目に見える利益がないからです。

 ですから、イエスさまを拒み、イエスさまに憎しみを持つことは、イエスさまにつながるお弟子さんたちにも及ぶことになるのです。イエスさまは、この現実を25節で2つの詩編の御言葉をもって明らかにされるのです。

【御言葉による証し】

 1つは詩編35編19節、もう1つは詩編69編5節の御言葉です。どちらも同じ意味です。「人々は理由もなく、わたしを憎んだ。」

 この御言葉は、父なる神さまの御心として必ず実現されなければならない、と告げるのです。イエスさまの十字架が証しすることは、この世の憎しみを一身に負って、その罪を赦すためなのです。十字架が父なる神さまの御心であるゆえに実現しなければ、罪の赦しが実現することはないのです。それと同じように、この世の憎しみに会うこともまた、避けることのできない現実です。お弟子さんたちは、世の憎しみを受けることによって、神の御子イエスさまにつながっているという信仰を実感するのです。

 イエスさまが、詩編の御言葉を用いて告げられたことを思い巡らしますと、イエスさまの御心に触れる思いがします。それは、憎しみの連鎖を防ぐためです。いわれなき憎しみが迫害となってイエスさまとお弟子さんたちに襲い掛かっても、それが父なる神さまの御心であるならば、憎しみに憎しみをもって反撃する道を絶つことになるのです。詩編の御言葉は、父なる神さまの御心として信じる者を支えるのです。

 ですが、お弟子さんたちの信仰は、憎しみから生じるどのような迫害にも耐えるだけの強さに裏打ちされているのでしょうか。まだそれほど信仰は強められ、練られてはいないのです。憎しみや苦しみに耐え切れず、逃げ出してしまう弱さを持っているのです。

【派遣される弁護者】

 それで、イエスさまは、この世の憎しみによる迫害にどのように向かい合ったらよいのかを告げるのです。それは、お弟子さんたちのために弁護者が送られることです。

 弁護者は、聖霊のことです。世の憎しみをかって、弱り果てるお弟子さんたちを励まし、守ってくださるのは聖霊の働きによるのです。弁護者なる聖霊は、お弟子さんたちのただ1つの支えなのです。

 弁護者は、「真理の霊」とも告げられています。真理の霊は、お弟子さんたちがイエスさまの真実を証しするために依って立つ源なのです。この世の憎しみによる迫害の中で耐え抜くことができるのは、イエスさまの十字架を罪人の救いの源と信じるからです。その源が弁護者にして真理の霊である聖霊なのです。

 わたしたちは、弱いものですから、同じことを繰り返していますと、つい自信をなくしまうことがあります。〝これで良いのだろうか。もっとほかになすべきことがあるのではないのだろうか。〟そのような誘惑にかられ、自分を疑いたくなることが起こるのです。

 そのようなわたしたちに、イエスさまは父なる神さまから弁護者なる真理の霊を送ってくださるのです。イエスさまの約束ですから、これほど確かなことはないのです。わたしたちは、イエスさまから送られる聖霊を弁護者にして真理の霊として依り頼み、立ち続けるのです。

【イエスさまの執り成し】

 イエスさまは、わたしたちのために、いつも執り成し、励まして、助け出してくださいます。弁護者にして真理の霊である聖霊の働きが、イエスさまの執り成しの真実を告げるのです。

 イエスさまは復活されたあと、40日間、お弟子さんたちと一緒に過ごしてから昇天され、父なる神さまの右の座に就かれます。それは、わたしたちのために執り成しをするためです。わたしたちが、天に召される日まで、父なる神さまに執り成し続けてくださるのです。その真実の証が、弁護者にして真理の霊なる聖霊の働きとして、わたしたちの心に、今も語り続けているのです。

 「人は理由もなく、わたしを憎んだ」との御言葉を赦しに変えられるのは、イエスさまだけです。そのために、イエスさまが執り成して、弁護者を父なる神さまから送ってくださるのです。これほど心丈夫な拠り所はありません。

【母の日の礼拝】

 今日は、母の日です。母の日の礼拝を献げるのは、生命をつなぐ母を通して、わたしたちが今あることを神さまに感謝するためです。

 母の思い出の中にあるのは、たまに帰省しますと、決まって出てくる料理です。不思議なもので、母の手作りの料理の中でも、好きなものが出ますと、疲れた心も体も安らぐように感じたのです。ありきたりの煮物、漬物、焼き物です。食べると、ホッとするのです。〝おふくろの味〟です。幼い時に覚えた味に触れると、家族の思い出が一瞬のうちに思い起こされるのです。母への感謝の思いは、忘れがたい心の安らぎの場〝立ち帰る心のふるさと〟を与えてくれたことです。

 それは今、教会の信仰として、思いを新たにさせてくれるのです。

 弁護者にして真理の霊である聖霊が、十字架のイエスさまこそ、復活の主キリストであるとの信仰の真実を証しするのです。

 この信仰に依り頼み、心のふるさとを仰ぎ見ながら、新たな1週間をご一緒に歩んでまいりましょう。

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