説教『歴史的な小信仰告白』牧師 若月 健悟

最終更新: 7月4日

2020年6月14日(日)花の日(聖霊降臨節第3主日)礼拝説教要旨

《聖書》申命記6章16~25節

【はじめに】

 先週の金曜日12日のことですが、3か月振りに児童福祉施設「光の子どもの家」職員礼拝に参席してきました。3月からストップしていた職員礼拝が、ようやく解禁されました。とはいえ、新型コロナウィルス感染の現状を考慮して、いつも使用している食堂ではなく、別棟の2階ホールで行いました。座席間隔を十分にとり、ホール一杯に広がって職員礼拝を献げました。〝礼拝を献げている〟という実感を覚えてとても幸せな思いに満たされました。

 ホールの窓から眺める景色は、背の高い樹木が敷地全体を囲んでいますので、森の中にいるようでした。雨に濡れてとても美しく、心なぐむ時間をすごしました。

 夏ツバキともいわれるシャラの木の純白の花が咲き始め、感染を憂慮する毎日の生活ですが、心洗われる思いでした。

 6月第2主日(日曜日)は「子どもの日・花の日」として記念の礼拝を献げます。19~20世紀にかけてアメリカでは「日曜学校運動」が盛んに行われ、特にメソジスト教会は熱心に子どもたちの信仰育成に努めました。6月は雨期に入り、農業も一段落しますので、子どもたちも家の手伝いから解放され、信仰をはぐくむ良い時でもあったのです。季節としても樹木の花が咲き始めますので、神さまの創造の御業の美しさを賛美する「花の日」と合わせて礼拝を献げました。

 わたしたち守谷教会は、「子どもの日」を「七五三」に合わせて、11月第2主日に献げますので、2つの日を切り離して、6月は「花の日」、11月は「子どもの日」として献げています。

 今朝は、その原点に立ち返って、子どもの日と花の日に込められた神さまの御業をご一緒に考えたいと思います。

【歴史的な小信仰告白】

 旧約聖書には、整えられた形式を持つ信仰告白が2つあります。その1つが、申命記6章20~25節です。もう1つは、申命記26章5~10節です。申命記6章は、子どものための信仰告白です。申命記26章は大人のための信仰告白です。2つの信仰告白に共通していることは、「出エジプト」を実現された主なる神さまの〝救いの御業〟を思い起こし、神さまを賛美する内容になっていることです。エジプトから脱出させ、奴隷から解放して自由の民としてくださった神さまの〝救いの御業〟をいつも思い起こし、受け継ぐことが信仰告白の目的なのです。

 「歴史的な小信仰告白」は、変わることのない永遠の救いが「出エジプト」にあり、いつも神さまと共に歩み続けることを信仰をもって告白するのです。子どもも大人も、「出エジプト」の救いにいつも立ち帰って主なる神さまの御業を賛美し、感謝し続けるのです。

【子どもの信仰告白】

では、申命記6章16~25節はどうでしょうか。

 16~19節にはこのような背景がありました。エジプトを脱出して間もなくのことです。荒れ野を旅することに疲れてしまったイスラエルの民は、のどが渇き、水をモーセに要求したのです。モーセはほとほと困り果てて、主なる神さまに「(民が)わたしを石で打ち殺そうとしています」(出エジプト記17章4節)と訴えます。すると、神さまは「その岩を打て」(6節)と命じらたのです。命じられた通りにしますと、岩から水が流れ出て、民の渇きは潤されました。この出来事は「マサの事件」と呼ばれています。「マサ」は「試し」という意味ですので、イスラエルの民が主なる神さまを試み、不信仰をあらわにした事件として語り継がれたのです。そのあとも、民は不平不満をモーセにぶつけ続けましたので、そのたびに、モーセは神さまに執り成し続けたのです。まさに人の罪と神さまの赦しの物語です。

 このような現実の中から、主なる神さまの救いの御業に、イスラエルの民が信仰をもって生活をするために与えられたのが「モーセの十戒」です。十戒を生活の規範とするのです。そのために、安息日には一切の仕事を休んで礼拝を献げ信仰を告白し、毎日の生活を通して家族、隣人との正しい生き方に励むよう教え戒めるのです。信仰告白と「モーセの十戒」は一体となっていることが分かります。

 その教育を子どもたちに行う責務が父親に託されたのです。その教育の要にあるのが、「歴史的な小信仰告白」です。神さまの救いの御業に証しされた赦しの愛に立ち帰ることを思い起こさせるのです。

【父親の教育の指針】

 20節をご覧いただければお分かりいただけますように、父親が主なる神さまただ御独りを信じる信仰が、どうして生活するために必要であるのかを、最初に明らかにするのです。信仰告白の前文に当たります。

 「将来、あなたの子が、『我々の神、主が命じられたこれらの定めと掟と法は何のためですか』と尋ねるときには、あなたの子にこう答えなさい。」

 父親の務めは、子どもの教育です。イスラエルの民が古くから識字率が高く、読み書きができたのは、父親の教育の成果であり、その中心に「歴史的な小信仰告白」があったからです。覚えたことを文字として書き表しながら、言葉を覚え、表現力を磨いたのです。

 のちの時代には、過越祭の時に、この「歴史的な小信仰告白」を唱えることになりました。過越祭をお祝いするのは、それぞれの家庭で行われましたので、食事の前の家庭礼拝は「歴史的な小信仰告白」を子どもたちが唱えることにより進められたのです。子羊を食べるのは、礼拝後の食事の時でした。

 父親は、子どもとの問答を通して、主なる神さまがモーセを通してエジプトの王の前で行った10の奇跡によりエジプトから脱出させ、ついには、自由と安住の地を与えてくださったことを告白するのです。これから始まる、新天新地において皆で一緒に生きて行くためには、お互いに守るべきルールが必要です。「モーセの十戒」がそのルールであり、お互いに守るべき生活の規範なのです。ルールを守って皆で一緒に生活していくことを告白するのです。それはただ、幸いに生きるようにしてくださった主なる神さまをほめたたえるためなのです。

 父親の果たすべき役割は、とても大きいのです。神の民として救われた喜びは、何ものにも代えがたいものであることを教え戒めながら、子どもが、親の救いの体験を信仰告白として受け継ぐことが、どれほど大きな信仰の見えざる遺産となるかを教えられるのです。

【応答としての信仰告白】

では、今わたしたちは「歴史的な小信仰告白」をどのように受け継いでいるのでしょうか。

それは、イエスさまがお弟子さんたちに教えられた「主の祈り」です。モーセの十戒が、神さまからイスラエルの民に与えられた、信仰と生活の誤りのない規範であるのに対して、「主の祈り」は、イエスさまの十字架と復活によって罪赦されて生きる信仰の告白なのです。罪を赦していただくための努力目標ではないのです。イエスさまの十字架と復活によって罪が赦され、救われたことを信じて生活するのです。「主の祈り」は、その祈りを実践することの告白であり、父なる神さまへの信仰による応答なのです。最も短い信仰告白は、「イエスは主です」とか「イエスはメシア(キリスト)です」などの御言葉がありますが、「主の祈り」は実践的な小信仰告白というべき内容を秘めているのです。

 「モーセの十戒」の拠り所が、出エジプトによる、主なる神さまの救いの御業にあるならば、それに対応して、「主の祈り」の源は、神の御子イエスさまの十字架と復活により実現した、父なる神さまの罪の赦しと救いの告白にあるのです。

 旧約の民は、さまざまな困難の中で、迷い苦しむ時に、この「歴史的な小信仰告白」に立ち帰り、主なる神さまの救いの御業は必ず実現すると信じて告白し続けました。

 わたしたちは、苦しみ迷う中で、「主の祈り」を唱えながら、神の御子イエスさまの十字架と復活の信仰へと立ち帰るのです。罪赦されて救われている現実を思い起こし、悔い改めて天を仰ぐのです。御子イエスさまの執り成しを受けていることを思い起こしながら、聖霊の助けをいただいて、信仰を告白してまいりましょう。

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