説教『永遠なるもの』牧師 若月健悟

2020年11月1日(日)召天者記念日・降誕前第8主日礼拝説教要旨

《聖書》コリントの信徒への手紙二 4章16~18節

【はじめに】

 家族の1人を天に送る寂しさは、たとえようもない心の隙間を創り出します。特に、新型コロナウィルス感染拡大がいつ終わるとも分からないなかで、葬儀を執り行われるご家族にとっては、こんなにつらいことはありません。親族や親しく交わりのあった人と共に見送ることもできない状況が続きます。教会の葬儀においても同じです。他に何かしてあげられることはないものかと、葬儀屋さんに相談しましても、できるだけ接触する時間を少なくし、静かに送り出す葬儀とならざるを得ません。葬儀の簡素化・簡略化は避けられない現実です。天上の友となられた方のご生涯を偲びながらその信仰に思いを馳せる時間が取れないことに、教会として申し訳なさを感じてしまいます。

 それでも、死の現実は容赦なく迫ってきます。避けることができません。そのようななかで、ただ慰めとなるのは、御子イエスさまが共にいて、死の現実を超えた神さまの愛の世界を見せてくださることです。

【もう1つの現実】

 では、神さまの愛の世界とは、どのような現実を証ししているのでしょうか。

 それは、復活の命に生きる現実です。コリントの信徒への手紙を書いたパウロ先生は、今自分がこの目で見ている現実の世界を超えた、もう1つの現実がこの世界にあることを知ったのです。それは、若い日に、十字架の上で最期を遂げられた御子イエスさまの復活に出会ったからです。ダマスコという町へ急ぐ道の途上で、復活の主イエスさまに出会ったことが、パウロ先生の人生を全く変えたのです。

 死んだ人が復活する、そんなことは迷信だと確信していたパウロ先生でした。ですが、ありえないことを体験したパウロ先生は、十字架のイエスさまを復活の主キリストと信じる者へと変えられたのです。この体験がパウロ先生の人生を全く変えたのです。

 どうして人は信じることも理解することもできない現実を受け入れ、信じ理解するのでしょうか。それは、人の命が、神さまから与えられた賜物であると信じ理解するからです。人は生まれ死んで終る、それが全てとする人生の理解の仕方があります。もう一方で、人は生まれ死んで終わるのではなく、その死のあとに新たな命が与えられると信じ理解することもできるのです。信仰をもたなければ、人は生まれそして死んで終わる、と自分の人生を受け止め理解することになります。信仰を持つことによって、その死の先に新たな命、永遠の命があると信じて理解する、もう1つの現実に気づかされるのです。

 パウロ先生は、復活の命に生きる神の御子イエス・キリストと出会って初めて信じ理解することができたのです。それは、人は死の向こうに復活の命を約束されているという真実です。御子イエス・キリストとの出会いは、この真実に出会い、この出会いを通してもう1つの現実の世界へと招かれていることに気づかされるのです。

 いつの時代も信仰は人を救いの道へと導いてきました。ですが、救われるのは、正しい人、立派な人、心の清い人だけと思い込んでいました。思い起こすのは、自分にはその努力も誠実さも足りなかったとという現実です。そのため、死が迫る現実のなかでは、自分を救いのない失格者と思い込んでしまうのです。

 ですが、イエスさまの十字架と復活に出会い、神の御子キリストと信じる信仰に導かれてからは、努力への報いではなく、信仰によって救われることを信じ理解するのです。パウロ先生は、信仰による救いという、もう1つの現実にこそ真実があることを告げるのです。

【もう1人の人】

 「だから、わたしたちは落胆しません。」(16節)

 パウロ先生の力強い御言葉には、信じて救われたご自身の喜びがあふれ出ています。その背後には、若い日の自分の生き方への深い悔い改めがあるからです。若い日に思い起こすのは、見かけだけの、何と心貧しく、独りよがりの営みであったことかとの悔いる思いです。このことを、パウロ先生は「外なる人」と告げるのです。空しいことに心奪われ、それが神さまの御心と信じて歩み続けた日々を心から悔いるのです。

 ですが、御子イエスさまを主キリストと信じる今は、何とも心晴やかで、生きる希望と気力にみなぎっているのです。それを「内なる人」と呼ぶのです。目に見える現実は、厳しいものがあります。パウロ先生にとって、キリスト信仰は、迫害による苦しみを覚悟しなければならない現実がありました。それでも、苦しみに耐える以上に、救いの喜びが心にあふれていたのです。人は誰もが死の時を迎えなければなりません。「外なる人」はそのまま命を終えるだけです。ですが、パウロ先生の信じる「内なる人」は復活の主キリストの命に生きるのです。ですから、信仰による復活の命に生きる希望は、今を生きる喜びへと導くのです。パウロ先生にとって「内なる人」は、永遠の命を生きるもう1人の新しい人としての真実なのです。

【永遠なるもの】

 「外なる人」が体験する苦しみは、誰もが身に感じていることです。この現実からは逃れることができません。ですが、もう1人の「内なる人」としての現実は、「比べものにならないほどの重みがある永遠の栄光」(17節)を神さまからいただくのです。それは、御子イエスさまを通して与えられる神さまの約束なのです。

 神さまからいただく「永遠の栄光」は、神さまと共に生きる永遠の命そのものです。神さまだけがお与えになることができる賜物のゆえに、人は死んでもなお神さまと共に生きる希望を持つのです。この希望は、御子イエスさまの十字架と復活を通して与えられたのです。だからこそ、永遠なるものとして生きる希望へと導き続けるのです。

 パウロ先生は、勧めます。

 「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(18節)

 先だって1人の姉妹が天に召されました。94歳でした。今年の2月以降、新型コロナウィルス感染のことが身近な問題となり始めましたが、いち早く対応した施設に高齢者介護施設がありました。高齢者への感染を避けるため、家族も面会できない状況が続きました。9月に入ってようやく面会できそうな状況になり、お会いするのを楽しみに待っていました。

ですが、ご家族から訃報の知らせをいただき、お会いできないままお別れしなければなりませんでした。

 召される前日にご家族が面会されたとき、姉妹は苦しい息の中から何度も何度も〝ありがとう〟と感謝しておられたことを伺いました。息を引き取る間際まで感謝の思いを告げておられた姉妹の思いに触れて、とても深い慰めを与えられました。94年の人生を感謝で締めくくれる姉妹のお人柄を偲ぶ思いがしたからです。姉妹の人生を思い起こしますと、「内なる人」として、御子イエスさまの御救いを素直に受け入れ、信じて生きられたことの幸いを思うのです。姉妹は「永遠なるもの」をいつも心に秘め、〝また天国でお会いしましょうね〟と、今語り掛けておられるように思えるのです。

 わたしたちは、いつも目に見えるもののなかで、あたふたしながら不平や愚痴をこぼして生活しています。ですが、目に見えないものにしっかりと心が定まった時には、心から感謝の言葉があふれ出てくるのではないでしょうか。御子イエスさまの十字架と復活を信じて生きる信仰にこそ、目には見えない永遠なるものをいただく喜びにあることを、いつも思い起こしたいと思います。

 御子イエスさまと共に永遠の安らぎのなかにある天上の友に思いを馳せながら、今日から始まる新しい日々をご一緒に歩んでまいりましょう。

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