説教『生ける油』 牧師 若月 健悟

最終更新: 6月23日

2020年6月21日(日)父の日・聖霊降臨節第4主日礼拝

《聖書》ヨハネの手紙一 2章27~29節

【はじめに】

 父の日を迎えると、思い出すことがあります。天に召されて久しくなりましたが、飯清牧師がアメリカに行っておられた時、父の日に教会での説教を依頼され、思案したあげく、このように話されました。

 「日本でも母の日はあります。そして、子どもの日もあります。でも、残りの三百六十三

  日は父の日ですから、特に父の日を守らなくても良いのです。」

 「大いにアメリカの会衆に受けた」とのことです。日本では、父の日がまだ教会の行事として定着していなかった時のお話しです。(飯清著『教会のこよみ、日本のこよみ』キリスト新聞社、1992年)

 母の日も父の日も、アメリカが発祥の地です。母の日は1914年に、5月第2日曜日を国民の祝日とすることが制定されました。父の日は、それから58年後の1972年に、6月の第3日曜日とすることが制定されました。母の日はカーネーション、父の日はバラをプレゼントすることが習わしです。バラの花となったのは、父の日を提唱した、ソノラ・スマート・ドッドさんが、お母さんを早くなくし、6人の子どもを男手一つで育ててくれたお父さんの墓前に感謝を込めて供えたのが白いバラだったからです。父の日制定は、ドットさんが96歳で召天する6年前のことでした。

 父の日は感謝の日、その思いは変わることがありません。感謝の思いがいっぱい込められたバラの花のプレゼント、良いですね。

【父親への呼びかけ】

 ところで、ヨハネの手紙一のことですが、2章14節に、父親への呼びかけがあります。

 「父たちよ、わたしがあなたがたに書いているのは、あなたがたが、初めから存在なさる

  方を知っているからである。」

 この呼びかけは、イエスさまについての誤った考え方に立つ信仰を戒めるためでした。誕生して間もない若い教会の中では、イエスさまを誤って理解するグループが、教会を二分裂させる論争を引き起こしていたのです。

 イエスさまは、真の神にして真の人である、という最初の教えから離れたグループの主張はこうでした。

 〝真の神が人である、そのようなことはあり得ない。なぜなら、真の神は永遠の神であって、死ぬことはないからである。イエスは、永遠の神であるのだから、死ぬべき人ではありえない。

 では、イエスが十字架の上にあげられて死んだ、というのはどのようなことか。それは、十字架の上で、死んだふりをしたにすぎない。

 どうして、そのようなふりをしたのか。それは、人は皆、奥深い真理を悟ることができないのだから、それを理解させるために、イエスは死んだふりをして、罪人がイエスの十字架の死によって贖われ、救われた、と信じるように導かれたのだ。

 だから、イエスは死んではいない。死んではいないのだから復活もない。イエスは永遠の神の御子として永遠に生きておられる。

 イエスは真の人であるというのは、偽りに過ぎない。〟

 教会の最初の教えは、イエスさまは真の神にして真の人であるとの信仰に立っていました。それは、ただ罪人の罪が贖い赦されて、救いにあずかるためでした。父なる神さまは、御子イエスさまをこの地上に罪なきただ御独りの人としてその生涯を歩ませました。罪なき真の人であるイエスさまの十字架の死によってはじめて、人の罪は贖い赦されたのです。それが父なる神さまの御計画であり、御心であったからです。イエスさまの死の真実は、墓に葬られたことにより証しされました。その死の墓より復活の命を与えられたのは、父なる神さまの御業なのです。イエスさまが神の御子キリストとして復活の命を与えられたのは、イエスさまこそ真の人にして真の神であることの証しであり、人は皆信じて、永遠の命に生きるためなのです。

 父親が、わが子にそして若者に教え諭すべき信仰の言葉は、教会の最初の教えを受け入れて、教会の信仰にとどまるためであったのです。

【誤った教えに救いなし】

 誤った教えは、のちに「仮現論」と呼ばるようになりました。イエスさまの十字架も復活もないキリスト信仰が、どのように人の罪を救い、永遠の命を信じる信仰に結びついたのでしょうか。それは、「真理の知恵に目覚めること」にあったのです。苦しい修行に耐え、瞑想によって真理の知恵に目覚めるのです。そうすれば、真理の知恵によって永遠の命を受けていることが分かると考えたのです。

 ですが、一体だれが、過酷な修行に耐え、真理の知恵に目覚めることができたのでしょうか。苦行は真理に触れた気持ちにさせますが、自分で思い込んで終わるだけで、教会の教える救いの信仰とはかけ離れていたのです。

 信仰は、生ける神さまの御言葉によって真実に導かれることです。その真実は、イエスさまの十字架と復活による救いのほか、何もないのです。教会は聖書の教えに立ちます。聖書こそ、神さまの御言葉の証しの書と信じるからです。

 仮現論は形を変えて、長い間、教会の内外にはびこりましたが、聖書の御言葉の真実の前に消えていきました。誤った教えに救いはなかったのです。

【生ける油】

 では、わたしたち教会は、どのようにして、御言葉の真実を信じることができるのでしょうか。それは、生ける油、つまり聖霊の内なる促しによるのです。27節の御言葉がそれを証ししています。

 「しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも

  教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。」

 「御子から注がれる油」こそ聖霊です。聖霊は、聖書の御言葉の真実へとわたしたちを導くのです。聖書全体を通して、罪人の救いが御子イエスさまの十字架と復活により実現し、永遠の命がわたしたちに約束されていることを確信させるのです。それが父なる神さまの救いの御計画であり、御心であるからです。

 今わたしたちは、御子イエスさまが父なる神さまの傍らで、わたしたち1人ひとりのために執り成しておられることを信じます。わたしたち教会は、御子イエスさまから注がれた油、聖霊によってそれを信じることへと導かれているのです。「油」は内なる火として燃え続けます。消えることのない内なる火、聖霊だからこそ、わたしたちは天に召される日まで信仰の灯を燃やし続けることができるのです。

【真実の信仰告白】

 生ける油である聖霊は、わたしたちを教会にとどまらせ、イエスさまの十字架と復活へと導き続けるのです。聖霊の内なる促しを受けて、わたしたちの信仰の灯は心に燃え続けるのです。

 28節で「子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい」と告げ、29節で「あなたがたは、御子が正しい方であると知っているなら、義を行う者も皆、神から生まれていることが分かるはずです」と結びます。わたしたちは、御子なるイエスさまの十字架と復活を信じる信仰によって救いを受けました。この救いの信仰こそ、神さまから生まれたことの証しなのです。つまり、信仰によってわたしたちは「神さまの子ども」とされたのです。信仰によって新しく生まれ変わったのは、「神さまの子ども」とされたことです。それが救いを受けたわたしたちの今ある現実なのです。それを確信させてくださるのが、生ける油、聖霊の内なる促しなのです。

 この真実をわたしたちは、日曜日ごとに礼拝に集って確認し、確信するのです。神さまの招きを受けた子どもとして「自分の父の家」(ルカ福音書2章49節)である教会へ立ち帰り、御子イエスさまの十字架と復活の救いを告白するのです。

 真実はひとつです。救いの信仰もひとつです。それは十字架のイエスさまを復活の主キリストと信じて告白することです。わたしたちは、日曜日の礼拝に集い、救いの源である神さまの御名をほめたたえながら皆で確認し、確信するのです。

 生ける油に満たされて、信仰の灯を燃やし続けてまいりましょう。

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