説教『神さまの証し』牧師 若月健悟

2020年12月6日(日)待降節(アドベント)第2主日礼拝説教要旨

《聖書》イザヤ書59章12~20節

【はじめに】

 コロナ感染拡大は、茨城県内においてますます勢いを増しているように見えてきます。不要不急の外出を控え、自粛しながら、マスクを着用し、手洗いを怠らず、検温、換気に心を配る生活が続きます。経済的な打撃、社会不安の中で、ますます厳しい現実が、生活を圧迫しています。先行きの見えない生活がまだ続きそうです。このような中で、神さまを信じて生活することに、どのような助けがあるのだろうかと、ふと信仰に揺らぎが生じてしまいます。〝わたしは神さまを信じているから問題ない〟と言い切れない不安が付きまといます。

 実は、先ほど拝読していただいたイザヤ書59章は、人々の心は疲れ果て、不信と背信が日常の生活となっていた時代を背景にしています。その中で、神さまの愛の御心を信じて生きることにこそ救いがあると、力強く告げるのです。

 それは、どのようなことなのでしょうか。イザヤ書59章の御言葉から見てまいりましょう。

【3つの語り掛け】

 イザヤ書59章は、3つの語り掛けをしています。

  1.悲嘆の叫び

  2.罪の告白

  3.救いの待望

 イザヤは預言者として、神さまの御心を包み隠さず王さまや人々に語り掛ける役割を担っているのですが、ここでの預言者としての働きは、むしろ人の心の中に宿っている言葉にならないほどの深い悲しみや嘆きを言葉として発することを勧めるのです。

 9節~11節の中から11節だけを読みます。

 「わたしたちは皆、熊のようにうなり

  鳩のような声を立てる。

  正義を望んだが、それはなかった。

  救いを望んだが、わたしたちを遠く去った。」

 もはや救いの手立てはなくなり、絶望だけが支配すると悲嘆に暮れるのです。神さまに何を訴えても答えてはくださらず、むしろ救いは見えなくなってしまったのです。

 人は、あまりにも深い悲しみに支配されると、その悲しみさえ感じなくなってしまうといいます。どのように嘆き悲しんで良いのかさえ、言葉にならなくなってしまうのです。

 イザヤは、そのような深い悲嘆の中にある人々に、嘆き悲しむ道を切り開き、何とか言葉にして発するよう語り掛けるのです。その語り掛けによって引き出された言葉が「救いを望んだが、わたしたちを遠く去った」との本音なのです。

【罪の告白】

 では、悲嘆の叫びの後に何が大切になってくるのでしょうか。それが「罪の告白」です。イザヤは預言者として、常に神さまと人との会話を成り立たせようと、語り掛けているのです。その道筋が、「罪の告白」なのです。 

 このことは、12節~15節前半の御言葉に表されているのです。

 12節は告げます。

 「御前に、わたしたちの背きの罪は重く

  わたしたち自身の罪が不利な証言をする。

  背きの罪はわたしたちと共にあり

  わたしたちは自分の咎(とが)を知っている。」

 神さまが救ってくださらないのではなく、むしろ、神さまに背いてきた自分の罪の深さに気づかずに生きてきたことへの悔いる心を明らかにするのです。わたしの罪こそが、神さまの救いを見えなくしてしまっていると、告白するのです。

 元気な時には、信仰をもっていても、神さまを本気で信じていなくても何とかなるように思えてしまうものです。イザヤが預言をした時代の状況は、長いバビロン捕囚も終り、母国へと戻って来て、必死になって国の再建に取り組んでいた時のことでした。身を削る努力をしても一向に再建が進まないのです。なにもかも投げ出したくなってしまいたいような雰囲気が人々の心を支配し始めていたのです。国の再建にかける情熱も消え去り、誰もが投げやりになっていた時に、イザヤは預言者として告げるのです。〝もう一度立ち上がって、最初の目標に向かって目を向けよう〟と語り掛けるのです。

 それが、「罪の告白」であり、悔い改めの信仰なのです。罪の告白は、神さまをもう1度本気で心から信じたいと願うからこそ言葉として形になるのです。その具体的な言葉こそ、悔い改める心を表す信仰の告白となるのです。悲嘆にくれ、言葉にならない心の叫びが言葉となった時、罪の告白が生れるのです。

 「背きの罪はわたしたちと共にあり

  わたしたちは自分の咎を知っている。」

【救いの待望】

 再び人々の心が神さまの方へと向けられ、開かれる時、神さまはすかさず御心を現わされるのです。15節後半~20節の御言葉です。その中から16節をお読みします。

 「主は人ひとりいないのを見

  執り成す人がいないのを驚かれた。

  主の救いは主の御腕により

  主を支えるのは主の恵みの御業。」

 〝あれっ〟と思わず、首をかしげたくなるような矛盾した御言葉です。つまり、一方で「正義を行う人もいなければ、神さまに執り成す人もいない」と告げながら、他方では「主なる神さまの救いは恵みの御業」と宣言するのです。前の御言葉と後の御言葉がつながっていないのです。完全に断絶しているのです。何とも不思議な御言葉です。

 ですが、預言者イザヤが告げたいことは、ここにあったのです。〝神さまの救いも、誰の助けもない〟と叫びたくなる現実の中でこそ、主なる神さまは、救いの手立てをもって、わたしたちに愛の御手を伸ばしておられる、と告げるのです。

 つまり、救いは、人が善い業に励み、その報酬として与えられる代価ではないということです。救いは、主なる神さま御自身が働き掛けてくださる時にこそ、救いになるのです。この信仰を見失ってしまったからこそ、苦しみに出会う時、誰も助けてくれず、自分で自分も救えないままに、見捨てられたと感じ、孤立して深い嘆き悲しみの闇の中に閉ざされてしまうのです。

 イザヤは、そのように全く無力になった人を主なる神さまは助け、救い出してくださると告げるのです。

【神さまの証し】

 わたしたちは、預言者イザヤが告げた神さまの救いの御業を神の御子イエスさまの御姿に見るのです。神さまの救いの証しは、御言葉をもって約束された救いを御子イエスさまによって実現されることにあるからです。

 わたしたちは今、思い起こすのです。イエスさまは、山上の説教を話し終えられたあと、祝福を受けた人がどのように生きたらよいのかを具体的に告げられました。マタイによる福音書5章冒頭が山上の説教です。そのあと、6章でお弟子さんたちに祈りの大切さを告げられたのです。「主の祈り」です。その中の祈りの1節がこの祈りです。

 「御国が来ますように。

  御心が行われますように。

  天におけるように地の上にも。」(10節)

 天におられる神さまの愛の御心がこの地上を支配する真実である時にこそ、預言者イザヤが告げた「救いの恵みの御業」が実現するのです。このことは、イエスさま御自身が、同じ6章で告げられた通りなのです。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(33節)

 「神の国」と「神の義」の実現こそが神さまの愛の御心であり、「御心が行われる」と救いの御業が現実となるのです。

 わたしたちは、神の御子イエスさまが、愛の証しとして罪人を救い、永遠の命を約束してくださった真実を知り、信じるのです。神の御子イエスさまの十字架と復活にこそ、神さまの愛の証しがあるからです。

 「神さまの御心がこの地上に実現しますように」とお弟子さんたちに教えられ、さらに「神の国と神の義を求めなさい」と告げられたイエスさまの御心は、天と地が1つになる愛の世界を告げておられたことに気づかされるのです。イザヤが預言し、その救いの約束をイエスさまが実現されたのです。神さまの愛の証しは、今もわたしたちに御子イエスさまこそ救い主キリストであるとの信仰へと結ぶもっとも高価な恵みの賜物であることを告げているのです。

 主を待ち望むアドベント、2本のろうそくに明かりがともりました。ご一緒に心備えて歩んでまいりましょう。


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