説教『荒れ野は心の中に』牧師 若月健悟

2021年2月21日(日)受難節第1主日礼拝説教要旨

《聖書》マタイによる福音書4章1~11節

【はじめに】

 先週木曜日朝の「聖書を学び祈る会」では、歴代誌上21章を学びました。小見出しは「ダビデの人口調査」です。その冒頭はこのように書き始めています。

 「サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるよ うにダビデを誘っ 

  た。」

 ダビデはサタンの誘いに乗って、人口調査を命じるのです。人口調査それ自体が悪と見なされているわけではないのです。ですが、ダビデの心の中に生じたのは、権力者としての高ぶりです。イスラエル王国統一を果たし、王としての地位を確立して絶頂期にあったのです。その中で、人口調査を命じたのです。イスラエル王国は〝神の国〟の写しとして成り立つのです。それがダビデの信仰を迷わせた結果、〝王の国〟へと道を誤らせたのです。主なる神さまはダビデの罪を見逃されませんでした。多くの民の犠牲をもって償うことになったのです。

 物語は、ダビデの罪に対する神さまの厳しい裁きを通して、悔い改めるダビデの信仰の回復を証しするのです。

 この物語を学びながら、サタンが神さまに派遣され、ダビデを誘惑する働きを通して、罪の現実と悔い改める信仰の確かさを教え諭されました。ダビデを誘ったサタンは、今、悪魔としてイエスさまを誘惑するのです。

【信仰の試練】

 イエスさまの場合、ダビデのように単純ではない物語になっています。イエスさまを荒れ野へと導いたのは聖霊です。その後を継いだのが、悪魔です。この手順が意味することは、全てが神さまの御計画として進められていることです。

 その目的は何かと言いますと、イエスさまが〝神の子〟としてその使命を実現できるかどうか、ということにかかわっているのです。〝神の子〟の使命は、十字架の死によって罪人を罪から救うことにあるのです。荒れ野へと導かれるのは、その始まりなのです。

 イエスさまは、聖霊によって荒れ野へと導かれます。この導きは、聖霊の導きであるゆえに試練と呼ばれるのです。それが、悪魔へとバトンタッチされますと、誘惑に変わるのです。つまり、誘惑は、神さまの御心から離れ、罪を犯すことに結びついた途端、神の子はその使命を終えるのです。イエスさまは神の子としての歩みを、何もなしえないままに終えことになるのです。

 試練として神さまにつながり続けるのか、それとも誘惑の中で神さまから離れて罪に陥ることになるのか、イエスさまの信仰の真実が問われるのです。

 荒れ野で試練に遭い、誘惑を受ける物語は、その背景にモーセに導かれたイスラエルの民の〝荒れ野の四十年〟があります。神さまは、いつも一緒にいて、のどの渇きをいやし、お腹を満たして、助け導いてくださっても、その都度起こる苦しみに人は耐えることができないのです。それでもなお、神さまにその都度、御言葉を与えられ、その御言葉に依り頼み続けたモーセの信仰の姿が、今、イエスさまに映し出されるのです。それは、イエスさまが受けられた3つの誘惑に対して、3つの御言葉をもって信仰の試練に変えられるのです。

 第1の誘惑は、神の子としての力をもって石をパンに変えることです。このもっとも分かりやすい誘惑を神さまとの関係を第一とする信仰の試練に変えるのです。

 「人が本心で生きるための源は、お腹を満たすパンではなく、神さまの御言葉である」と、イエスさまは、モーセの書である申命記8章3節の御言葉をもって依って立つべき源を証しされたのです。

 第2の誘惑は、高所から落下しても神さまは助けてくださるとの意味のない誘いに対して、完全に拒絶されたことです。父と子の関係は逆転できないことを通して信仰の試練へと変えられるのです。

 「神である主を試みてはならない」との応答は、申命記6章16節の御言葉です。ここでも、モーセの書がイエスさまの本心の拠り所となっているのです。

 第3の誘惑は、悪魔にひれ伏す偶像礼拝です。力さえあれば、人は救えるという短絡的な誘いを跳ねのけるのです。信仰の本質を明らかにすることによって信仰の試練へと変えるのです。

 「主を拝み、ただ主に仕えよ」との御言葉は、申命記6章13節です。金の子牛の像を神と信じて心の拠り所を見出そうとした、荒れ野の民の罪の深さを、モーセは知り尽くしていました。それだけにモーセは、主を畏れ、主に仕える信仰にこそ命が宿ることを証ししたのです。イエスさまは、今、その信仰に、全ての人の信仰と救いがかかわっていることを告げられるのです。

 イエスさまにとって、限りなく襲ってくる悪魔の誘惑は、十字架の死に至る日まで続くのです。ですから、その誘惑を信仰の試練へと変えるのは、つまり、常に神さまを父と仰ぎ畏れ、神さまの御心を明かにするためには、御言葉に依り頼み、拠り所とするほかはないのです。

【信じるということ】

 荒れ野は何も助けがないという現実を表しています。神さま不在の世界であり、そのゆえに悪魔が支配する世界と見なされるのです。その中で〝信じる〟とはどのようなことを意味しているのでしょうか。

 〝信じる〟という現実には、2つの意味があると考えます。

  その1つは、〝信仰〟という意味の〝信じる〟です。

  もう1つは、〝信頼〟という意味の〝信じる〟です。

 どちらも信じることに違いはないのですが、全く異なった現実を表わすのです。

  信仰は、神さまと人との関係です。

  信頼は、人と人との関係です。

 神さまを信じることが信仰です。神さまは決して人を見捨てられない御方であるから信じられるのです。神さまを畏れ、ひれ伏す現実を〝信じる〟といいます。モーセもダビデも、神さまを信じて信仰に生きました。モーセとダビデに共通している信仰の確かさは、〝悔い改める〟信仰にあります。神さまを本心から畏れ、ひれ伏すことができたからこそ、モーセもダビデも、自らの罪を認めて悔い改めたのです。

 イエスさまはどうでしょうか。罪なき神の子として、イエスさまは、常に父である神さまの御言葉に立ち続け、御言葉を御自身の歩みの一歩前に置かれたのです。ですから、御言葉を超えて、先走ることは決してなかったのです。イエスさまが神の子として悔い改めることがなかったのは、ただ御独りそれをなしえた御方であったからです。

 では、〝信頼〟という意味で用いる、人を信じることはどうでしょうか。人と人との関係に用いる〝信頼〟には危うさが付きまとい、破れが生じるのです。人の持てる信頼の危うさ、破れを承知していることが大切です。

 では、人を信頼することが間違っているのでしょうか。そうではないはずです。人を信頼しなければ生活は成り立ちません。ですから、変わってしまう人の心の現実をよく理解して、なお信頼し続けることに、人のもてる誠実さがあるのです。

【荒れ野は心の中に】

 わたしは思うのです。人の心の中は、荒れ野になってはいないか、と思えてくるのです。時には、神さま不在に陥ることがあります。何事も順調に進み、思い通りに生きているように思える時に、人は慢心し、神さま不在でも生きて行けそうに思えてくるのです。ダビデがそうでした。王として着実に王国を形造り、その権力が頂点に達した時、罪に陥ったのです。

 その反対に、何事もうまくいかなくなった時、人は自暴自棄になり、神さまを見失い、御言葉から遠ざかってしまうのです。御言葉に依り頼む信仰が弱まり、神さまから遠ざかっていく時、人への信頼も失われていくのです。心が閉ざされてしまうからです。

 その心を開き、信じる心を回復させる力は、何でしょうか。それは、愛です。愛されているという実感だけが、回復の力となるのです。イエスさまが、荒れ野の誘惑を試練へと変え、神さまの御言葉に依り頼むことができたのは、〝神の子〟であるからなのですが、その源には、洗礼を受けられた直後に、天の父の呼びかけを受けたからです。

 「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3章17節)

 聖霊に導かれ、悪魔の誘惑を受ける直前に、天の父なる神さまの愛の御言葉を受けたからこそ、イエスさまは愛の御言葉に立ち続けることができたのです。このことは、深い慰めです。たとえわたしたちの心が荒れ野と化したとしましても、なお、御子イエスさまの十字架の愛が注がれているのですから、必ず信じる心へと回復していくのです。

 今朝も、イエスさまの御言葉を信じ、悔い改めて信仰に立ち帰り、人に信頼を寄せて歩んでまいりましょう。

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