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説教『分かち合い』牧師 若月健悟

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《聖書》使徒言行録4章32~37節

 コロナ禍の中で、特に大切にされている言葉があります。それは〝分かち合い〟です。持っている人が、今必要としている人と分かち合うことが、目に見える形で誰もが認めるようになってきました。母の世代の人が、良く用いていた言葉があります。それは、〝おすそ分け〟という言葉です。夕方になると、近所のおばちゃんたちが、器に布巾をかぶせて届け合う姿をよく見かけました。その語源からしますと、目上の人に〝おすそ分け〟という言葉は失礼にあたるのですが、一般的には、分かち合う心がとても良く表れているように思います。

 でも最近は、〝分かち合い〟よりも〝シェアー〟という英語を用いることが多くなりました。〝シェアーする〟という言葉の方が、恰好良くて、ストレートに伝わるようです。

 では、聖書ではどうでしょうか。

 使徒言行録4章32節の中に「共有していた」とあります。この御言葉が、〝分かち合い〟を意味します。

 ギリシア語では〝コイノス〟と言いますが、皆さまは〝コイノニア〟という言葉をお聞きになられたことがあるかと思います。キリスト教の施設では、〝コイノニア〟という言葉を用いて、1つの共同体を表しています。使徒言行録2章42節では「相互の交わり」と訳しています。その語源になっているのが、〝コイノス〟つまり「共有していた」にあります。

 誕生して間もない、生き生きとしたエルサレム教会のとても美しい姿を物語っている御言葉です。

【〝分かち合い〟の背景】

 その背景には、このようなことがありました。イエスさまの一番弟子のペトロさんとヨハネさんが伝道にでかけ、エルサレム神殿の入口の1つ「美しい門」に着きますと、大勢の人が施しを受けようとしていました。足の不自由な人が2人に施しを乞いますと、ペトロさんが言います。

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」(3章6節)

すると、その人は立ち上がって喜び踊り、神さまを賛美したのです。癒しという分かち合いを証ししています。

 このことがきっかけとなって、ペトロさんとヨハネさんは人々を混乱させているという罪状で当局に逮捕され、尋問を受けるのです。ですが、癒された人の証言で釈放され、初代教会は、ますます聖霊に満たされて、力強い祈りが献げられ、伝道が進められたのです。

【〝分かち合い〟の現実】

 熱気と活気のある所には人が集まってきます。人が集まれば、献げる人がいて、必要な人には分かち合いが起こります。分かち合いは、初代教会の最も美しい現実を物語っています。ところが、「共有した」つまり〝分かち合い〟が、必ず美しい現実として繰り広げられたのかと言いますと、そうではないのです。

 それは、コイノスという言葉に、その現実が物語られていたのです。というのは、コイノスには2つの意味がありまして、1つは〝共有する、分かち合う〟というプラスのイメージです。もう1つは〝清くない、汚れている〟というマイナスのイメージです。

この〝清くない〟という意味のコイノスは、10章14節「清くない物」とか28節「清くない者」と、物と人の両方に用いているのです。つまり、共有することには、必ず、良い面があれば、悪い面

があることです。それをコイノスが表しているのです。

 コイノスのマイナスの悪いイメージは、使徒言行録5章冒頭の物語として登場するのです。アナニアとサフィラ夫妻に起こった悲劇です。夫妻は、キリストを信じる信仰を持っていたのです。熱気と活気に包まれた初代教会の雰囲気の中で、所有していた土地を売り、教会に献げたのです。

 ところが、土地の代金の一部を全額と偽って献げたことから、聖霊を欺き、神さまを欺いた、と問われたのです。

「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売ってもその代金は自分の思いどおりになったではないか。」(4節)

 ペトロさんが告げた御言葉を聞いた夫のアナニアは、倒れて息絶えてしまいました(5節)。

 その3時間あとにやってきた妻のサフィラは、夫の死を知りますと、ショックで息絶えてしまいました(10節)。

 アナニアとサフィラ夫妻の献金は、葬儀の費用になってしまったのでしょうか。2人の突然の死は、あまりにも悲しい現実です。

【分かち合いの信仰】

 お金にまつわる話は、皆さまも嬉しい経験、苦い経験をお持ちのことと思います。神学生の時には、礼拝席上献金の時に、財布には1万円札しか入っておらず、ためらいましたが、それを献げてしまいました。アルバイトで得たお金の最後の1万円札でした(翌日予期しない友人からの現金書留が届き、神さまの計らいに感謝)。副牧師の時には、クリスマスコンサートに来られた方に自由献金をお願いしたのですが、役員さんから、〝先生から献げて模範を示さなければ〟と言われて、財布を開けると5千円札だけが入っていました。〝エイヤーッ!〟と最後の1枚を献げることになりました(その役員さんは1万円献金)。このような話しは、皆さまもお持ちのことと思います。

 アナニアとサフィラ夫妻に起こった悲劇を通して教えられることは、献げる心、分かち合いの心には、大切なことがあることです。

 それは、〝惜しむ心からではなく、感謝の心をもって〟という信仰です。この信仰がなければ、どうしても献げること、分かち合いには、心の片隅に後ろめたさが残るのです。後味の悪い献げ方、分かち合いは、避けなければなりません。

 4章33・34節をご覧いただきますと、初代教会の熱気と活気に包まれた雰囲気が伝わってきます。

 「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意をもたれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。」

 十字架のイエスさまが復活の主キリストであるとの信仰は、癒しと分かち合いを通して、1人も貧しい人がいなかったほど、初代教会を満たし、礼拝を豊かにしたのです。

「一人も貧しい人がいなかった」との御言葉は、申命記15章4・5節の御言葉が実現したことを物語る御言葉です。モーセに率いられたイスラエルの民は、40年の荒れ野の旅を終え、今まさに、乳と蜜の流れる約束の地カナンに入ろうとしていた時に、モーセが告げた御言葉です。その約束の御言葉が、千3百年の時を経て、初代教会において実現したのです。

【バルナバの証し】

 貧しい人も豊かに祝福されたのは、バルナバのような、信仰篤い人がいたからです。レビ族の人で、キプロス島生まれのバルナバは、教会に導かれ、キリスト信仰を告白し、ついには、信仰の証しとして所有していた畑を売って全額を惜しみなく教会に献げたのです。今では信じられない話のようですが、わたしも幾つかの心熱くなる話しを伺ったことがあります。四国のある教会は、教会再建のために皆で手を尽く力を尽くして献金しましたが、1億円が不足し、牧師さんはとても困り果てていました。1億円は大変な金額です。そのとき、3人の役員さんが申し出たのです。〝わたしたちの退職金を全て献げます。〟示された金額が1億円でした。今から40年も前の話しです。老後の生活は、十分とは言えないまでも、つつましく生きれば大丈夫と言う信仰に裏打ちされた献げものでした。

 惜しむ心は、誰の心にもあります。聖書の物語には、その事例がたくさん出てきます。いかんともしがたい人の心です。ですが、そのような心にも、清く潔い〝コイノス〟分かち合いの心も宿っているのです。十字架のイエスさまを復活の主キリストと信じる信仰は、初代教会のペトロさんやヨハネさんだけではなく、今も受け継がれているのです。それは、惜しむ心からではなく、感謝する心から生じる自発の信仰です。本当にありがたいと感謝できれば、献げる思いも、自ずと心開かれてまいります。それは誰でもない、十字架と復活によりわたしたちを罪の現実から救い出してくださった神の御子イエスさまを信じる信仰によるのです。この信仰がなければ、献げることが空しくなってしまいます。

 そのためにも、コイノス、分かち合いの信仰を大切にしてまいりましょう。

 「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。」

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